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誘惑 [おもてなし]

最近は誘惑ばかりがひどくなる一方だ。周囲もそうなのだろう。潔癖すぎるのもどうかと思うが全く公表できないようでも困る。結局自己の倫理観に頼らざるをえないのかもしれない。公表されても反論できる程度ならまだいいとでも言うべきなのかな。開き直るとか居直るよりほかにないというはどうなのだろうか。最近は追求を逃れるためなのか安易に氏名を変更する人が増えているそうだが困ったとしか言いようがない。
今の日本は欲しい物を望むように手にすることができる満たされた社会なのかもしれない。衣食住で不自由さをきたしているのは一部の少数派なのかもしれない。もちろん贅沢を言えばきりがないのは言うまでもない。満たされた社会であるが故に臆病にも成っているのかもしれない。ちょっと手を伸ばせば手に入る物ばかり周囲にあふれているが故に何を選んだらいいのか解らなくなっているのだと思う。食べ物はついつい食べ過ぎてしまうのがいい例だと思う。職場でも私生活でも趣味の世界でもついつい集めすぎて使いこなせなくなってしまう社会なのだと思う。何か足りないくらいがいいのだと思う。一病息災という言葉があるけれど満たされた生活より何か不自由さを求めているのかもしれない。茶の湯でもチリひとつ無く清めた後にあえて落ち葉などで汚したところに客を迎える方がいいと聞く。満たされた生活を求めながら何か足りないような生活を望むという相反するこころが真実なのだと思う。何事も足りないくらいがちょうどいいのだと思う。
裁判にしろ、医療にしろ今の日本には当事者権利というものが抜け落ちているような気がする。被害者をないがしろにした裁判など意味があるのだろうか。患者を置き去りにした病院など誰が望むのだろう。しかし実態は法曹のための裁判であり、医療従事者のための医療機関の様相ばかりが強くなるばかりだ。しかしそれらに対して当事者たちはあまりに幼い。無知そのものと言ってもいいのかもしれない。法治制度すら言葉ぐらいしか理解していない人ばかりかもしれない。法律は作るものであって与えられるものではないのだが、頭では解っていても与えられることになれきってしまった。そんな中で政治も国民のためと言うより官僚なためなのかな。放送も視聴者のためより放送従事者のためなのかな。企業活動も顧客ためより従業員のためであり従業員のためより株主役員のためなのかな。知識があるが故についついがんばりすぎてしまうのだろう、重いな。アメリカはもう帰れ!
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